「認知症の人」も褒められると嬉しいと感じる…。       〇フリルンタオル誕生秘話その14「規定より軽いものが…」

〇皆様こんにちは少し間が空いてしまいました…、ごめんなさい。今年の桜も満開となりましたね、都心もそうですが私の近所の桜並木もすっかり満開となっております。昨日その近くを通りましたらハラハラとピンク色の花びらが舞い降りていました。「花の命は短くて…」「三日見ぬ間の桜かな…」などの言葉がぴったりですね。

 先日、「認知症を予防しよう、そして進まないよう食い止めよう」の懇親会に行きました。その話の中に認知症の人もなんで褒められたか忘れたが、褒められた時の嬉しさは忘れないと…、褒められると誰でも嬉しいいです。いい年をして自分もそのような時があります、朝からウキウキして鼻歌を歌いながら台所をしたりしている自分にあきれます、よく考えるとほんのちょっとしたことを誰かに褒められたりしたときです。そして認知症の人には怒ってはいけないということも知りました。

 ここのところ自分の回りの人たちが相次いで「認知症」になっているように思いいます、残念というか悲しい…、もったいない…そんな切ない気持ちになるのです。特に生まれ故郷のあの富士山のふもとで1人で生活をしているH子ちゃんです、小学校からの70年来の親友です、H子ちゃんはいつもいつも私を褒めてくれていました。例えば「みっこちゃんは頭が良いだけでなく人の喜ぶことをいつも考えてくれるのね」「いつもいつも弱い人の見方をしてくれて、強い人にも言いにくい事をハッキリ言ってくれるわ…」等など、ちょっとそれはほめ過ぎではないの…と言うくらい私を褒めてくれていました。私も負けずにH子ちゃんを褒め「H子ちゃんは本当にいい声で歌が上手ね…」「H子ちゃんの女らしいしぐさが私には無いわ…」等です、二人は褒め合って続いていました。

 が、昨秋の事です…、送った絵手紙をいつも褒めてくれるのに急に「どうして私にばかり絵手紙を送ってくるの?YちゃんUちゃんにはどうして出さないの?」とハガキが来ました。私はビックリしてすぐ携帯へかけました…が、出ません、何回も何回もかけましたが同じです。「可愛さ余って憎さ100倍…」等と言う言葉が脳裏をかすめます…、そうでは無いかも知れませんが、きっと何かが心を閉ざしてしまったのでしょう…。最近やっと自分の中にも諦めにも似た気持ちが生じています、勿論がっかりです、寂しいですそして辛さが残ります…、でも、いつか又何事も無かったかのように話が出来る日が来ることを願っています。

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 〇フリルンタオル誕生秘話その14   「規定の重さより軽いフリルンが…」刑務作業所生産は見事失敗に終わる。

 そこは横浜にある地下鉄の駅から徒歩で行けるビックリするほど都心に近いところにありました。主に若い人が収容されているところと聞きました。北関東のT刑務作業所の紹介でした、そこが工事中とのことで2年の歳月を待ちに待った刑務作業所であったわけです。が、思う様な品が仕上がってくる事は一度もありませんでした。フリルが平坦に縫製されない…、団子のように一か所に固まったついてしまうのです。勿論全品検査をして納得できるもののみを出荷したつもりでしたが、検査の仕方が甘く適性品で無いものを出荷した可能性は大いにありました、今頃思ってもどうにもなりませんが後悔はいっぱいです。

 そして、ある日の事ですふと思ったのです…、「これは軽いのでは…」と、計ってみると確かに軽いのです、「なぜ?…、どうして…」不安がし募ります。その当時2社から生地を入れて頂いていました、結果論ですがその1社が約束の製糸でなくすこし細いのを使って生地にしていたのを使ってしまったのです。まさかそんな事をするとは夢にも思いませんでした、すぐ人を信用する信用してしまう自分の性格の甘さが大きな失敗を生むことになりました。

 「お客様の手に渡ってから、クレームが来てからでなく良かった…」と思うしかありませんでした、そんな薄い生地に気づかずフリルを縫い付けたその刑務作業所の責任者に怒りはありましたが、「そのような事にも注意して下さい」と言わなかった自分に落ち度があったわけです、お世話になった期間はあまりにも短く一年にも満たなかったと思います。このようなところで造って頂けば市場よりはいくらか安い工賃でお願い出来るし、このフリルンタオルは価格さえ安く売ることが出来ればもっともっと需要が増えるにちがいない、ひとりでも多くの人に喜んで頂き使って貰いたいと思っていました。夢にまで見た刑務作業所でしたがそれは思ってもみない結末となってあっさり終止符を打つことになってしまったのです、全てを諦めてこの工場を後にしました。
 町中に出るとクリスマスが近い横浜の街はサンタクロースやトナカイのイルミネーションが赤やオレンジ、グリーン、イエロー等々色がキラキラと華やかに何事も無かったように輝いていました。20年程過ぎ去った今でもその時の誰にも話すことも聞いて貰う事も出来ない情けない自分の落ち込んだ気持ちと、横浜の華やかな町中の風景の落差が大きく宵闇迫ったこの風景を自分の気持ちの中から消すことが出来ません…。

 

 

「幸福学」…、ボールペンを加えた時の変な自分の顔…。   フリルンタオル誕生秘話その13

 少し前の事です、テレビで見たのですが「幸福学」と言うものです。普段の生活で「あれもやらなければ、これも…、ああ、16時の出荷に間に合うだろうか…、やる気が出ないどうしても気分が乗らない…」「そういえば前に頂いた果汁100%のブドウジュースがあるちょっとあれを呑んでみよう…」なんて思ったりしていました。
 その「やる気にならない…」のを「やる気にする」「幸福学」と言うものをテレビで見ました。大股で早めに上を向いて早く歩く、ただ上を向くだけでも違う、又はボールペン、鉛筆などを加える、そうすると脳が騙されて笑顔になるというわけです。
 そのボールペンを加えるというものを早速実行してみました、鏡に映してその顔を見てみました。何かひきつっているようなお世辞にもいい顔とは言えません……、余りにも自分が想像していた顔とはかけ離れた馬鹿馬鹿しいというより滑稽であきれてやめました。
」と腕が抜けるくらい天高く腕を突き上げるのがいいようです。3回ほどやってみました、「やる気がない…」寝ぼけたことは言ってられない目が覚めた気分になりました。そしてこれは「幸福学」というより「気分学」の方がいいようにも思った次い第です。

 〇フリルンタオル誕生秘話その13  「都心に近い刑務作業所に依頼するが…フリルがどうして も平均に付かない…」

 2003年夏でした、北関東にある刑務作業所を訪れてから2年の歳月か流れていました、フリルンの縫製をお願いする待ちに待った作業所でありました。そこは神奈川県にあり、地下鉄の駅から徒歩で行ける都心に近いところでありました。主に若い青年が入っている刑務所内の作業所で1000人程が定員とのことでしたが既に定員をオーバーしているとこ事でした。

 白っぽいコンクリートで出来た建物が何棟も建っていました。 広々とした駐車場にはそこで消費する日用品や食品と思われる品々を搬入するのでしょう、大型のトラックが忙しそうに行き来していました。建物の回りは緑豊かな北関東のそことは違い、コンクリートの上に置かれた少しばかりの鉢植えの赤や黄色の草花が来る人の気持ちを和ませてくれているようでした。

 担当の方とお会いしました50代後半の真面目で静かな実直そうな感じの男性でした、ここはその現場を見せて頂くことはできませんでしたが、特にフリルを平均に縫い付けること等を事細かく説明させて頂きました。フリルが平均につくどころか一部分にまるで団子のようについてしまっているのです。今度こそ、次のロットこそ…といくら期待をしても待っても、どんなにこころ待ちにしてもこちらが思う様なものは出来てきませんでした。
「平均に縫製する」ことの難しさを心底知った時でもありました。これが最後までこちらの希望というか納得することはなくここでの作業は終止符を打つことになろうとはその時は夢にも思いませんでした。
 家族が猛反対する中で私は「はじめは上手く縫えなくても少し慣れればきっと。上手になる…」と人の言うことに耳を貸さず、ただ少しでも安くできないか、安くすればフリルンタオルは絶対に売れる…。売れるに違いない…、そんな一途な思いが走っていました。
 夫は凄く怒って「絶対に上手くはならないんだ、上手くなったころはそこを出てしまうからいつもいつも不慣れな人が縫うことになるんだ…」と、今考えれば全くその通りなのですが、熱くなっていた私はその事を理解しょうとも思っていませんでした。帰りに隣接しているそこで作った家具や小物を即売している店舗に寄りました。勿論指導を受けて作ったものでしょうが、タンス、小引き出し、机、椅子、小物などの主に民芸品が見事に出来上がっていました。

 

人の言葉の裏を読めなかった自分…。  フリルンタオル誕生秘話その12 「自由と言うことの幸せ

 年が明けますと当然の事ながらこのシーズンは「新年会」が幾つもあります、私は若くないですからギリギリの数で止めておこうと思います。が、どうしてもお断りできないとか、やむを得ず…等と言うこともあります。少し前の事でした仕事仲間の責任者が都合でどうしても出られなくそのピンチヒッターとして女性ばかりの100人余りが出席する新年会に出かけました。
 同じテーブルには来賓の方々の他にその会の責任者である70代前半の女性が同席されました、世間話を進めるうちに「お宅の会はいつも御馳走が沢山並んでおりますものね…」このようなことを云い始めました。私は来賓席に座ったためかかなり緊張をしていました「こんなところへ座ってしまいこの会場に自分の事を知っている人がいたらどうしよう…」等と考えていました。言い訳になりますがそんなこともあったのだと思います、なんとこのような返事をしてしまったのです。「私どもの会も
以前は業者のオードブル等をとっていたのですが、なにか中身がないように感じられて役員さんで手分けして作ってくることにしたんです。例えばIさんはから揚げ等、Uさんは煮物がお上手なのでそれをたのみ、私はおにぎりになるかちらし寿司になるかわからないでけどご飯もの…というぐあに…、同じようなものがだぶらないように…」等と言ってしまいました。
 帰宅してから「自分はなんてバカな返事をしてしまったのだろうか…とても恥ずかしい事を云ってしまった…」と、そんなことを云うべきでは無かったのだと。「そんなことはありません、今日のこのお料理は普段家ではお目にかかれないような、凝ったお料理が並んで皆さんそれぞれの腕を振るわれたのですね…」とこのような受け答えをするべきだったのに…と、大いに反省をした次第です。
 お客様とお話をさせて頂くとき「相手はどんな言葉を待っているのか…」「イエス」が正しいのか「ノー」が適切なのかいつも考えているつもりだったのに慣れない席で自分はなんて「軽い言葉」を発してしまったのか…とここ数日後悔しきりです。

この北関東にあるT刑務作業所を後にしたのは梅雨時の雲の切れ間から真夏の様な太陽が照りつける7月の中旬の事でした。駅までの徒歩20分近い道でしょうか帰りはとぼとぼと歩いて帰りました、この時のことを余り覚えていないのが正直な気持ちです。興奮というか自分は見てはいけないものを見てしまった…、知らなくていい事を知ってしまった、或るいはこれは天が自分に見せてくれた世界なのかも知れない…とか、わけのわからない事を考えながらボーっとした気持ちで歩いてきたように思います。
 緑濃い山々が見える200メートル位の大きな橋を渡ったところの木陰で一休みです、汗を拭いながらそばを流れる小川をじーっと見ていました。その水のなんときれいなことでしょう、川底の一つ一つの石も水苔もくっきりと見えます。その「水さん」達ははしゃいでいました流れ来る木の葉を飛び越え石から石へ岩から岩へ「チョロチョロ」「ピチャピチャ」「ビューンビューン」、どこへ飛ぼうがどこへ座ろうがなんの話をしようが全く自由です好き勝手です。好きなところへ行ける、自由な話ができる、勝手にどこへでも行ける、寝ようが起きようが誰に何を言われることもない…、普段自分が思ったことも全く考えたこともないそれらが、宝物のように感じました、自分は宝の山で生活をしているんだ…なんてもったいない事をしていたんだろうか…と。。
 ここの刑務作業所はその時は仕事がいっぱいと言うことで神奈川県にある主に青年が入っている刑務作業所を紹介して頂きました。そこは工事をしており2年後に改めて行くことを約束しました。

 

墓地で「持ちましょう…」と水を持って頂き複雑な心境でした…。  フリルンタオル誕生秘話その11  刑務作業所を訪れる…」

明けましておめでとうございます。早々と今日は7日となりました…、皆様はどんなお正月休みでしたでしょうか…。私は毎年のことながらお正月休みに年賀状を
書いている次第です、すみません…。
 お正月早々ですが人生で初めての経験でした年末にお墓参りに行った時のことです、水汲み場で品の良い60代半ばくらいの男性が一生懸命花立を洗っていました。その姿に見とれて「いいですねえ~、ご主人がお墓参りにきて下さって奥さんが羨ましいです…」と私は声をかけました。するとその方は「今はそういう時代でしょっ」と言うのです、そして「女の人はあれやこれや忙しいですからね~」と。
 そうこうしているうちに私のバケツに水が溜まりました、するとその方は「お持ちしましょ」とサッと私のバケツを持って下さったのです。「どちらですか…」と
さっさと歩き始めました「女の人からすれば、この水も結構重いですからねぇ…」と。、私は「すみませんです…、」といい、後を追う様に歩きました、そして思わず「旦那さんのような方と一緒になりたかったです、と主人の両親が眠る墓地で不謹慎なことを言っていました。
 そして改めて思いました、自分もいつの間にか人様に墓地の水を持っていただく年になっていたんだ…と、人様から見ればきっと「重いこの水を持ってあげよう…」或るいは「危ない足取りかも…」と映ったのかもしれません、どちらにしてもとても清々しい、そして暖かいいいお墓まりでした、有難うございます。

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 フリルンタオル誕生秘話 その11  価格を少しでも下げられないか…の思いで「北関東にある刑務作業所を訪れる…」

 平成10年梅雨休みの夏の太陽が雲の切れ間から照り付ける7月上旬の事でした、北関東にある「T刑務作業所」を訪れました。勿論人生で初めての場所です、10メートルはあろうかと思われる塀がぐるりと回されています。鉄製の古びた門を入るとキーンと張り詰めた静けさがありました、植え込みの木々の根元は雑草など一本も見当たりません。受付を通り係の方とお会いしました。早速その現場を見せて頂けることになりました、するとその方は「普通は女性の方はこの様なところには入れませんが吉村さんはこの商品を発明した方のようですから特別です。日本の女性でこの様なところへ入るのは多分吉村さんが初めてでしょう…」と言われました。この時の「日本の女性で吉村さんが初めて…」のこの言葉が後々も自分の生き方進むべき道しるべになっていった様に思います、胸に心に深く刻み込まれました。

 その作業所は昔の学校の渡り廊下ように木製の建物木製のすのこがひかれていました、50メートル程歩いた先にありました。案内をして下さる人の他に私の前と後ろにひとりづつの警備の人がつきました。「キョロキョロ見ないでください、部屋を出る時に後ろを振り返ってお辞儀をしないでください、そのまままっすぐ出て下さい。」と説明を受けました。
 一歩中に入るとそこは70~80坪ほどの作業所でした、作業している人は4~50人はいたでしょうか…、窓はいっぱいに明けられ大きなスタンド型の扇風機がその日の真夏の様な暑さを吹き飛ばすかのように目いっぱいの風を送っていました。 作業をしている人の後方から入りました、男性のみですそのがっちりとした骨組み、大きな背中にはその人が今まで生きてきた歴史を見るように感じとれました。そして息を呑むような恐い入れ墨が掘ってありました黒、紫、そして朱色です…絵は竜が多かったように覚えています。数分の事でしたが頭が真っ白と言うか自分は息をしていなかった様にも思いました。
 有名なデザイナーのさんの膝掛けのようなものを縫製していると聞きました、もう冬物の制作に入っているんだな~と思いました。このようなところへ来てしまうか、来なくて済むかは紙一重のところではなかったのか…と思いました、自分にも一つ間違えばこのようなところへ来てしまったかも知れないと思う事ががありましたから…。

 ここの作業所はその時は仕事がいっぱいとのことで他を紹介して頂きこの刑務所を後にしました。夏の太陽が真上から照り付ける暑い日でした。、

「『ツン』と、こない簡単なます」を今年も作ります。  フリルン誕生秘話その10「パテントも申請しなくては…」「刑務作業所を知る」

 ここ10年ほどになりますがこの時期になりますと私は「ツンと、こない簡単なます」を作るのにあれこれと材料の手配に追われます。なますですから当然大根、ニンジン、タコ、そして柚子です。それに調味料のお酢(穀物酢)、日本酒、味醂、砂糖などです。
 これはテレビで知ったのですが大根や人参は千切りにしません、大根、ニンジンともにいちょう切りです、太めの大根でしたら縦に5~6分等にします、普通の太さでしたら4つ切りでいいと思います。それをスライサーでスライスします、大根2本に対し中くらいの人参を1本をこれもスライスします。スライサーを使うとき用心のために利き手は滑り止め付の軍手を使うと大根や人参が滑らずかなりやりやすいし、安全です、是非お試し下さい。

 今日は、中くらいの大根2本と人参中を1本のなますの調味料の割合でご案内させて頂きます。お酢、日本酒をカップ半分、みりんカップ半分に砂糖大匙4杯を入れて30秒ほどレンジにかけてお砂糖を溶かしておきます。スライスした大根と人参は適宜に塩を振り1時間ほど置きます、そしてあれば野菜水きりでしなっとした大根と人参の水切りをします。野菜の水切りが無ければ手で絞って下さい。そして『酢洗い』です、絞った野菜にカップ半分ほどのお酢をかけてもう一度水切りをします。

 小さじいっぱいほどのお醤油を入れてあとは味見をします、『少し甘いな~』と言うくらいが出来上がりは丁度いいと思います。蒸しダコ(これも酢洗いをして入れ、ましょう)、ゆずなどを入れて出来上がりです。タッパーに入れるのもいいですが、私はジップロック等2重にビニール袋に入れて冷蔵庫で保管します、(この方合わせ調味料に無駄が無いように思います)3日目くらいから食べ始めます。

 血圧の高い私はこれを漬物代わりとして年が明けてもかなり食べ続けています、何故か全く飽きないのです…、不思議です。知り合いにも配ります、毎年皆さん「いい味ねぇ~」「今年も待っているのよ…」なんてお世辞でも言われると作るのに燃えます。大根をスライスするときこの寒さでも汗が飛ぶのです、これは本当です。アハハ、何本作るかって?三浦大根大き目を20本くらいでしょうか…、いい年をして(77歳)可笑しいい話でよね。

 この白い「つばき」は数日前に友達ので頂いたものです。なんと白い花のふちがピンク色をしていてその清純さというか純粋さというか、「ああ、このような花があるんだ…」と、しばし見とれました…。

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 〇フリルン誕生秘話その10    「少しでも価格を下げられないだろうか…」「パテントも取らなければ」そして「刑務作業所を知る…」 

 フリルンタオルを流通に乗せる…、その前にしておかなければならないことがあります。それはこの形を「パテントで抑える」と言うことです。このようなことを専門的にやって下さる「便利屋」さんと言うものがありますがそこへ払う資金が無いのですから、自分でやるしかありませんでした。 
 虎ノ門にあります特許庁へ出向きました、濃いグレーの建物です、ビルを見上げるような高い天井です。「ああ、日本はたいしたもの、特許庁と言うことろは凄い建物だ、こんなものが日本にはあるんだ…と」とぐるりと周りを見回したのを今でもくっきりと覚えています。 パテントと言っても幾つかあります、そのものはあるがそれに新しいものをプラスされたもの「実用新案」、今までになかった形の権利を取る「意匠登録」そして、そのもの自身が無かった全く新しいもの「特許」などです。
 アカスリ自体はあるのですから「特許」と言うわけにはいかないと思いました、それで「実用新案」を申請することにしました。説明書と言うか「これを読んで下さい」と渡されたものは厚さ5センチ余りはあるような電話帳の様なものでした。数ページ読んでみました、頭が割れそうなことがびっしりと書いてあります。
 「ああ、ダメだ」と思いました、こんなものをまともに読んでいたら頭がおかしくなる「何が何だかさっぱりわからない、わからないことがわからない…」そんな感じでした。でも、申請しない限りこんな形、こんなものはアッと言う間にまねされて終わる…。なにも難しく考えることはない、普通に考えて普通に書けばいいのだ…と必死で自分に言い聞かせました。

 人と同じことをやっても中小企業いや零細企業に明日はない、次々と真似されたことを思い出します、自営業の辛さと言うか苦しさと言うか商売の永遠の戦いであると思いました。「時代の波にはどうやっても勝てない…」と言っていた亡き母の言葉を思い出しました。それらが無かったら特許庁への書類など絶対に出せなかったと思います。人生に無駄は無い…とはこのことだと思いました。

 そしてある日「刑務作業所がかなり安く仕事をする」との情報を得る、刑務作業所を探し歩く自分…「日本で女性がこのようなところへ足を踏み入れるのは吉村さんあなたが初めてでしょう」と言われる。
 

 

 
 

絵手紙で繋がる会話    フリルンタオル誕生秘話  その9《なんとしても市場に流れる価格にしたい…》 

 一昨日の事でした、愛知県のYさんからです。Yさんのお手紙は「つわぶき」の絵手紙に描きました、するとYさんからの電話がありました。Yさん宅にもつわぶきが咲いているそうでとても興奮気味でちょっと嬉しそうです、「うちの庭にも『つわぶき』が咲いているんですよ…、吉村さん本当にこれを描いたんですか…」と。決して上手とは言えないそのつわぶきの絵をそのように言ってくれるYさんです、私はそれがお世辞であってもとてもウキウキした気分になりました。
 月一で、絵手紙を仕事仲間でその道のベテランであるEさんに先生になって頂き始めようと話が持ち上がった時私はひそかに想うところがありました。それはお客様にお出しするお手紙にそれを活用しようと思っていたわけです…、それが思いの外反応は早く自分でも驚いています。{下手でいい…、下手がいい…」の言葉にのせられて早いものでもうすぐ2年になります。
 今、その会は全員でも6人です…、やめてしまった人も数人いるわけです、やめた理由ははっきりわかりませんが「上手に描けない…」が大きな理由の様でした。我が家では「なんだこれは…、」と夫に言われるときもありますが長男や時々顔をだしてくれる大学生の孫娘は「上手いよ…」「なかなかいいよ…」と褒めてくれます。その誉め言葉にのせられて描いています、焦らず諦めずに続けたいと思います。絵手紙を初めて一番変わったのは自分の性格だと思います。以前にも書いたと思いますが「白、黒とすぐ決めない」「良く考える」「中間でもいいじゃないか…もう一度考えてみる」と言うことです。これは自分の仕事に大きく影響しているように思います。絵手紙に乾杯!

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  フリルンタオル誕生秘話   その9  《なんとしても市場に流れる価格にしたい、商社抜きで工場と直接取引は出来ないだろうか…》

 当たり前の事ですが、「良いものイコール売れるとは限らない…」のです、ましてやこの商品はこれくらいまでか適正価格というものが世の中にはあると思います。
フリルンは発売元の当社の価格をとてもそんな低くしてはやっていけない、経営が成り立たない、非常識だと言われるほど抑えても市場価格は1000円位になってしまうのです。どこへこ売りとに言っても言われることがありました「もう少し安くならないかなぁ~」「これは高すぎる…」或いは「この価格ではちょっと無理…」こんなことの繰り返しでした。どんなに「これは手作り品です、織り、染め、縫製、嚢詰め全て国内でやっています」と言ってもたかがアカスリです、無駄でした。
 売るためにはどうしても価格を抑えなければなりません…、生産を始められたきっかけは大手の繊維メーカーを動かすためにその道案内をして下さった、T商社様があったからこそでした。当然のことながらそのT商社様も利益を取らなければ会社として成り立たないのです。

 が、私は大芝居を打つ決意をしました、その会社の担当者に「フリルンはやめることにしました、お世話になりました」と、告げたのです。担当のUさんは「そんな馬鹿な、あんなに気に入っていたんではありませんか」「あんなに売れる自信があると言っていたではありませんかっ」と。 でも、今だから言えるのですがその商社は正当な粗利と言えると思いますが25%を取っていることがふとしたことがきっかけで分かったのです。

 それがなくなれば問屋さんや販売店様が正当と思われる粗利をとっても流通に乗ると思ったのです。大芝居を打つ後ろめたさは当然ありましたが「何をどうしてもフリルンちゃんの命を絶ってはならない、流通に乗せなくてはならない…」と思うことが先でした。私は人として本当はやってはいけない事をしたのかもしれません…、人は普段思ってもいないことをやるものだとこの時強く感じた事を覚えています。でも、こんなことでフリルンちゃんは流通に乗るほど甘くはありませんでした…。
 

 

 

ありがとう、すみませんを「丁寧に言える」家族は素晴らしい!  フリルン誕生秘話その8「本体にリボン状のもの縫い付ける…、それを筒状にすると決めたのは夫でした」

 数日前の行きつけの近所の歯医者さんでの出来事です、その歯医者さんに私はもう50年近く通っています。数か月前くらいからそこの息子さんがインターンを終えたらしく時々診察をしています。その日はなぜか看護師さんが全く見えなく先生とその息子さんの二人で次々と見える患者さんに応対していました。
 いよいよ私の番です先生は一人で私の治療をして下さっていました、少しすると息子さんに「いいかな…」と声をかけましたすると息子さんは快く、「大丈夫だよ…」と言ってバキュームというのでしょうか、あの水が出て吸い取っていく機械で私に対応してくれたのです。
 その時先生は要するにおとうさんです、「助かりました、有難う、有難うございました。」と、まるで他人様に言うように目上の人に言うように丁寧に何回も何回も我が子にお礼を言うのです。私はその一部始終を見ていたわけですが、なんて礼儀正しいきちっとした親子なのだろう…と痛切に思いました。それに引き換え我が家では私は自分は母親として当然の事をしているに過ぎないのに長男に強くものを言います、強く言ってもいいかもしれませんが何か頼みごとをやってくれた時「有難う」は言っているつもりですが、「丁寧に…」からはかなりかけ離れていたように思いました、反省したのは申すまでもありません…、この親子のようにきちっとした対応をして丁寧に子供を育てていたらもっときちっとした丁寧な人間に育っていたのかも知れない…と猛反省しているところです。長男、「40代独身」は私の育て方のせいかも知れないと…。
 今からでも遅くはないかも知れないとそれからは今までと同じように頼んだことをしてくれた時でも「そう、もうやってくれたの…早いわね、有難う」と、いつもより一言、二言、多くの言葉を添えるようにしています。たとえ家族、親子であっても「有難う、すみません、等の言葉はハッキリそして心を込めて丁寧に」が大事だと思った日でした。
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 フリルン誕生秘話 その8   《「本体両面にリボン状のものを縫い付ける…、でもそれを筒状にすると決めたのは夫でした、この発想がフリルン誕生の瞬間!》

 このフリルンタオルを始める時思った条件が幾つかあります、〇肩甲骨の間のへこみをロボットが押し洗いしてくれるようなもの 〇それは女性が手に取って貰えるような可愛らしさ色気があるもの 〇使った人がああ、いい気持ち…、と思って頂けるもの 〇決して高価なものであってはならない等です。重さがかなり影響してくると思った時通常品の幅30センチにリボン状のものを縫い付けてはかなり重くなり不利だと思いました。それで通常の半分くらいの幅18センチの生地の両面にリボン状の生地をタックを取って縫い付けてみました。そのリボンの幅を40㍉、45㍉、50㍉といくつか試してみました。見た目や実際に使ってみるとそれは50㍉が一番適当の様でした。両面にタあんックを取ったリボン状のものが縫い付けてあるわけなのでこれでも普通の使い方をすれば中央のリボン状のものが出っ張り肩甲骨の間にフイットしていいわけです…。が、何かそパットしません…。この一部始終をものも言わず見ていた夫は「そんな事をしないでこうすればいいじゃないか…」と言ってそれを縦にクルット筒状にしたのです。
 
  このフリルンタオルを始めようとして私が次兄から資金を借りてこようとしていた時から「そんなことは絶対にやめてくれッ、絶対にッ、昔から特許貧乏と決まっているんだ、やめてくれッ」と普段物静かな夫は気が狂わんばかりに反対をしていました。私はその言葉を無視して突き進んでいました、偉そうなことを言って勝手な事ばかりやっていた私ですが結局最後に決めたのは夫でした。発明品フリルンタオルの生みの親は99,9%は夫なのだと思った瞬間でした…。
 今は亡き次兄に「必ず返すから…」と約束をして高級マンションが買えるような資金を出資して貰いフリルンの生産はスタートしていきます。私の無謀ともいえるこの挑戦に快く出資をしてくれた次兄の事を忘れてはならないと思います。

 この時はまだこれからが本当の山を越えていく道になろうとは夢にも思わない自分でした、知らないということは恐ろしい事です。「良いものイコール売れる」とは限らないのです。でもフリルンちゃんは我が家の4人目の子供です、親として「この子の命を絶ってはならない…」「フリルンちゃんは天からの神様からの預かりもの」この二つの想いが今日も私をつき進めさせてくれるのです…。l

見事に外れた即売会で学んだ『初心忘れることなかれ…』でした。  フリルンタオル誕生秘話7(生地は見つかり試作はスタートする。)

 先週の水曜日11月9日でした、あの両国にある国技館で取引先の信用金庫が主催する「産業フェアー、即売会」に初めて出店させて頂きました。が、見事に大外れの結果となりました。出展料が6万円売り上げがなんと数万円です。このような即売会ではこの22年間で最低の結果となりました。

 当社は一言でいうとお客様に馴染みの無いというか薄い、世の中に知れ渡っていない商品を販売している訳です…、勿論商品にはかなりの自信を持っているわけですから、どんなに時間がかかろうとも諦めるわけにはいきません…。例え(痒い所に手が届く)フリルンが300万個売れていてもそのくらいでは多くの人にとても認知して頂いてはいないわけです。今まで世の中に無かった商品はそのようなものだと思います、そのほかシミ、シワ、イボも取れる「セランピア」や抜け毛、増毛の「髪の幸せ」も同じです、ですからどうしても買う買わない以前に説明だけは聞いてほしいのですが、それが全く出来ないのです。聞いて頂けないというか取り付く暇もないのです、「わぁ~わぁ~」「きゃ~きゃ~」「ペチャペチャ」だけが通り過ぎます。隣の小間の靴下やハンカチが並んでいる100均のような店に主婦の方たちは殺到しています…。

 でも、大いに反省した日でもありました、このように即売会に出店させていただくようになってから20年余りが過ぎたわけですが、その間フリルンタオルはじめそのほかの商品も徐々に売れていくようになってそのことに慣れていってしまったように思います。フリルンだってはじめは買って頂けるどころか横目で「アハハっ」と笑われただけのものでした。それを諦めずに一人ひとりの方に「ちょっとごめんなさい…、背骨をこのように人に押してもらう、さすって貰うといい気持ちですよね、血行も良くなります、それと同じことがこのフリルンで自分で出来るんです、とにかくまず一個です、今日は特別価格になっています。」と、諦めずに続けた結果が今日のフリルンの結果なのです。それが今では「これってすごくいいのよ…」「これでなくてはだめなの…」「頼まれたの、どうしてもこれを買っていかないと」等など、有り難い事にファンがふえて下さったのです…、が、それは同じイベントに出店しているからこそなのです。

 全く新しいい開拓地ではそれは20年前と同じことの始まりであったのですそれを自分たちはすっかり忘れていたのです。このように納得していても人は弱いものです、体が言うことを聞きません…、早朝というか夜中の2時に起きてお弁当作りをしていた私はとうとうダウンしてしまい、会場にある升席で横になってしまいました。
 帰宅すると私たちの帰りを待っていた夫は「どうだったぁ~」と、「全然だめだったぁ~…」と元気のない私に「怪我もなく事故もなく無事にわって上等じゃないか…」と、全くその通りです。いつもは呑気ものそのものの夫にイライラしている私ですが今日のこの言葉は深く心に浸み込みました。「初心忘れることなかれ…」とはよく言ったものです。

 フリルンタオル誕生秘話その7(生地は見つかり、さあっいよいよ試作が始まりますっ…。)
 その繊維メーカーのM社は誰でも知っているよな大手企業です、私が誠意をもって精いっぱいぶつけてもきっと話も聞いてもらえないだろうと思いました。そうだ浄水器をかなり売っていることは知っているはずだ、浄水器の展示会でそのメーカーの担当者に何回かお会いしたことがある…と思いました。浄水器を仕入れている金物問屋Y社に先方の担当者を紹介して頂きお会いすることが出来ました。
 浄水器はその繊維メーカーのM社からY社へは直接でなく東証一部上場されている商社、T社経由できていました、T社のUさんとお話をさせて頂き試作に使う生地のお願いをしました、夢にまで見た生地は柔らかいのから固めまでよりどりみどリです10種類程がアッという間に集まりました。ああ、やはりあるところにはあるものなのだ…と、部屋いっぱいに広げられた生地を眺めた日を今でも覚えています。さあっ、いよいよ試作の始まりです、幅30センチの生地に幅5センチに同じ生地を幅5センチのリボン状に裁断したものを縫い付けていきました。
 その時人間にはどうも「五感」というものがあるようだ…、つかんだ時の体積、持った重さ、目で見た美しさ…、そのようなものがきっとあるに違いない…と思いました。早速店で売っているアカスリ10種類ほどを計ってみました、やはりそうでした軽いもので35グラム重いものが50グラム近くあります。重さをこの平均に持っていかなければならないと思いました。

「絵手紙…」で人の輪が広がる…。  フリルン誕生秘話その6(試作に使う本体の生地探しです…。)

先日の日曜日あるイベントに当社の商品を持って販売に参加させて頂きました。このようなことは多くても年に6~7回ですが、普段全くお会いできない顧客様にお会いできる数少ない機会でもあります。お声は40代?と思っても実際は80歳過ぎている人もいれば当然その逆もあるわけです…。いずれにしましても話に花が咲き商売抜きにて楽しいひと時です。
 その日、自分の販売ブースの近くで中年女性が販売する「植木のコーナー」がありました、「絵手紙に使える何かいい材料はないか…」と、のぞき込みましたが季節的に無理があるようでサボテンの種類がほとんどでした。「サボテンか…」と思いましたが名前は忘れましたが、とりあえず鉢全体に細めの柿の種を植えこんだような直径20センチ足らずのものを二つ買い求めました。そして「絵手紙に使いたいんですが何かありませんかね…」と、するとその販売の女性は「この、ザクロおまけに上げるからいかが…」と箱から二つ取り出してくれました、その一つにはかなり葉がついていますそして「この葉っぱも書いてね…」と。

、きっとのこの女性も絵手紙に興味があるというか描くのかも知れないと思いました。「絵手紙…」と聞いただけですぐ「ざくろ」を思ってくれたわけですから、きっとそうなのでしょう。仕事仲間で月に一度絵手紙を習い始めてもうすぐ2年になります、自分の中で変わったことが幾つかあるように思います。まず「すぐ決めない」「よく考える」「白、黒、でなくてもグレー、どちらでもいいのでは…」と物事をとらえるようになったと感じています。そして「これを絵手紙に描こう、この角度で描こう、いやこちらからの方がいい…」等観察する力が出来たように思います。
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 フリルン誕生秘話その6  (試作をしたくても、その生地がない…、ヒントは思いのほか近くにありました…)
 さてその丸いタワシにヒントを得てフリルンの試作は大きく前進できそうでしたが試作に使う生地がありません、動こうにも動けない悶々とした日が続きました…、今考えるとバカなことをやっていました。自宅からそう遠くない生地問屋の集まる東京の横山町へ探しに行ったりしていました。どの店に行っても「そういうものは扱っていません…」の一言で終わっていました。
 仕事柄あちこちのイベントにいくと飾りつけに天井からそれに使うナイロン生地がカラフルに紙テープのように張り巡らされているのを見ると「ああ、やはりあかすりに使うナイロン生地はあのようにあるんだ…」と恨めしそうに見つめるだけの日が過ぎていきました。なんとしても生地が無くては試作は一歩も進まないのです。

 その頃「汚れた水道水」がかなりの話題になっていました、あの富士山のふもときれいな美味しい水の富士市で生まれ育った私には水の事はかなりの自信がありました。M社の家庭用小型浄水器をレジのすぐ近くに展示して殆んどの来客に「ろ過した水で炊くご飯は香りも味も全く別物のように違いますよッ」「お茶の香り、色まで浄水器の水を使うとわかりますっ」「水道水をどんなに沸騰させても、カルキが飛ぶだけで汚れはたまっているわけです…」等と説明して、売れる日は一日数十台を販売していました。はじめは問屋の担当者にも「デパートやホームセンターでプロのマネキンが実演販売しても一日1個売れるか売れないかだから絶対にやめた方がいい、返品なんて言っても絶対に引き取らないから…」と言われていました。私は性格がよくないのかひねくれているのか人に反対されるとどうしてもやりたくなるのです。当時1個8千円ほどした小型浄水器を結果的にひと夏で千個以上は販売させて頂きました。
 忘れもしません…、ある日の夕方その浄水器に使っている白い「中空糸膜」に目が留まりました、「そうだっ、これは大手繊維メーカーのM社の品だM社へ聞いてみよう」と。

今、77歳の小学校の同窓会に68名もの人が参加! フリルン誕生秘話その5(ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…ナイロンたわしにヒントを頂く!)

 少し前ですが、生まれ故郷の静岡県富士市に行ってきました、その日私の大好きな富士山は薄雲にちょっとかくれんぼをしているようでしたがお陰様でまずまずのお天気に恵まれました。小学校の同窓会の出席のためです、地元の二つの小学校の合同ですからある意味では中学校の同窓会とも言えます。富士山の懐につつまれ厳しい北風も知らずに過ごした日々を思い出します。
子供の頃の面影が全くなくどうしても思い出せない人、その頃と変わりなく「ああ…、あの頃もこんな感じだった…」と、すぐ思い出させる人…と様々です。88歳と92歳になる恩師も見えて下さいました、高齢の二人の先生に出席願うのに幹事の方はご苦労があったようです。一人ひとり皆さんが自己紹介です、「今は娘夫婦と同居しています」「私には子供が5人います、そして孫が11人になりました。」「7歳からの日本舞踊を続けています、今は生徒さんに教えています。」等いろいろありました。その中で心に残ったのは「今日は身体障害者の子供を預って頂きこの会にきました…」と、心を開いておっしゃって下さった方が忘れられません…。ちょっと席が遠かったのでお顔もお名前もわかりませんでしたが、今の状況を素直に話して下さったこの方がとても立派だと思いました、自分だったらこのように言えるだろうか…と。
そして当時からただひたすらに黙々と何かをやっていたMさんがリーダーとなってあれこれとお膳立てをして進めて下さったようです。私は思うのですがこのような会はどのように声をかけてどのような内容でするかで参加者の人数が決まるのだと思います。そして数日前には幹事をやって下さったⅯさんから数枚のスナップ写真が一言を添えて送られてきました。それには「その節は遠いところ有難うございました。昔の姿そのままさっそうと入ってきましたね…」と。私は77歳ですよ、いくらのっぽの私でも「さっそう」としているわけはありません…が、例えお世辞でもこのように言われると嬉しいです。今度いつ会えるか…とても楽しみです。すっかりお世話になったMさんにこの「青春の日の思い出」の絵手紙にお礼の一言を添えてお送りしました。

 実は私はこの会に出席するかどうかかなり迷っていました、それはずっと仲良くしていた二人の人が都合が悪くて今回の会には欠席するとわかっていたからです。寂しい思いをして「やっぱりこなければよかった…」と思いたくなかったのです。でも、決して若くない自分です、「あの時やはり行けばよかった…、人がどうであれ自分の気持ちに正直に生きるのが自分らしい生き方ではないのか…」と自問自答した末に出席させて頂いたのです。でも、Mさんのお蔭でとても楽しくいい思い出の会となりました、人はどこでどうお世話になるのかこの先も全く分かりません…、自分も人様にせい一杯の言葉を添えたいと思います。
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 フリルン誕生秘話その5  (ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…丸いナイロンたわしにヒントを頂く」
 リボン状の生地でバラのようなものをいくつか縫い付けてみましたが、実際に使ってみるとそれは只コロコロとするだけで背中を押し洗いするというものにはほど遠いものでした。背中を押し洗いするということは相当の力がかかるものだということが分かったわけです。
 その頃、町中で洋傘の回りに付いているフリル状のものが気になっていました、又、赤ちゃんの靴下の上部についているフリルが気になって見とれていたりしていました。アイデアというものは焦ったり、急いだりしても浮かんでくるものではありません…。只「押し洗い」そして「可愛いいもの…」どうしてもこの二つの言葉が頭から離れません…。「ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなもの…」それが可愛いものでなくてはならないのです。この品が完成されて店頭に並んだ時きっと女性が手に取るでしょう…、その時「これってなんなの?」「わっ~面白そう…」「これって可愛いね」と言って頂けるものでなくてはならないと思ったのです。

 当時雑貨店をしていました、店の棚の隅に直径10センチほどの一つの丸いナイロンタワシガ売れ残って転がっていました、私はそのナイロンたわしをあれこれといじっていました。するとそれはナイロン生地の真ん中で釣り糸のようなものでくくってあるだけのものでした、只ナイロン生地の張りで丸くなっていているわけです。それを見たとき「アッ、これだっこれでいけるっ」と思いました。長いながいトンネルから抜け出せるような、重い荷物を肩から降ろせるような何日も眠れなかった重苦しいい気持ちから解放された時でした。私はこの時「神様が天から降りてきた…」と思いました、どうも発明とはこのようなものらしいです…。