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絵手紙で繋がる会話    フリルンタオル誕生秘話  その9《なんとしても市場に流れる価格にしたい…》 

 一昨日の事でした、愛知県のYさんからです。Yさんのお手紙は「つわぶき」の絵手紙に描きました、するとYさんからの電話がありました。Yさん宅にもつわぶきが咲いているそうでとても興奮気味でちょっと嬉しそうです、「うちの庭にも『つわぶき』が咲いているんですよ…、吉村さん本当にこれを描いたんですか…」と。決して上手とは言えないそのつわぶきの絵をそのように言ってくれるYさんです、私はそれがお世辞であってもとてもウキウキした気分になりました。
 月一で、絵手紙を仕事仲間でその道のベテランであるEさんに先生になって頂き始めようと話が持ち上がった時私はひそかに想うところがありました。それはお客様にお出しするお手紙にそれを活用しようと思っていたわけです…、それが思いの外反応は早く自分でも驚いています。{下手でいい…、下手がいい…」の言葉にのせられて早いものでもうすぐ2年になります。
 今、その会は全員でも6人です…、やめてしまった人も数人いるわけです、やめた理由ははっきりわかりませんが「上手に描けない…」が大きな理由の様でした。我が家では「なんだこれは…、」と夫に言われるときもありますが長男や時々顔をだしてくれる大学生の孫娘は「上手いよ…」「なかなかいいよ…」と褒めてくれます。その誉め言葉にのせられて描いています、焦らず諦めずに続けたいと思います。絵手紙を初めて一番変わったのは自分の性格だと思います。以前にも書いたと思いますが「白、黒とすぐ決めない」「良く考える」「中間でもいいじゃないか…もう一度考えてみる」と言うことです。これは自分の仕事に大きく影響しているように思います。絵手紙に乾杯!

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  フリルンタオル誕生秘話   その9  《なんとしても市場に流れる価格にしたい、商社抜きで工場と直接取引は出来ないだろうか…》

 当たり前の事ですが、「良いものイコール売れるとは限らない…」のです、ましてやこの商品はこれくらいまでか適正価格というものが世の中にはあると思います。
フリルンは発売元の当社の価格をとてもそんな低くしてはやっていけない、経営が成り立たない、非常識だと言われるほど抑えても市場価格は1000円位になってしまうのです。どこへこ売りとに言っても言われることがありました「もう少し安くならないかなぁ~」「これは高すぎる…」或いは「この価格ではちょっと無理…」こんなことの繰り返しでした。どんなに「これは手作り品です、織り、染め、縫製、嚢詰め全て国内でやっています」と言ってもたかがアカスリです、無駄でした。
 売るためにはどうしても価格を抑えなければなりません…、生産を始められたきっかけは大手の繊維メーカーを動かすためにその道案内をして下さった、T商社様があったからこそでした。当然のことながらそのT商社様も利益を取らなければ会社として成り立たないのです。

 が、私は大芝居を打つ決意をしました、その会社の担当者に「フリルンはやめることにしました、お世話になりました」と、告げたのです。担当のUさんは「そんな馬鹿な、あんなに気に入っていたんではありませんか」「あんなに売れる自信があると言っていたではありませんかっ」と。 でも、今だから言えるのですがその商社は正当な粗利と言えると思いますが25%を取っていることがふとしたことがきっかけで分かったのです。

 それがなくなれば問屋さんや販売店様が正当と思われる粗利をとっても流通に乗ると思ったのです。大芝居を打つ後ろめたさは当然ありましたが「何をどうしてもフリルンちゃんの命を絶ってはならない、流通に乗せなくてはならない…」と思うことが先でした。私は人として本当はやってはいけない事をしたのかもしれません…、人は普段思ってもいないことをやるものだとこの時強く感じた事を覚えています。でも、こんなことでフリルンちゃんは流通に乗るほど甘くはありませんでした…。
 

 

 

ありがとう、すみませんを「丁寧に言える」家族は素晴らしい!  フリルン誕生秘話その8「本体にリボン状のもの縫い付ける…、それを筒状にすると決めたのは夫でした」

 数日前の行きつけの近所の歯医者さんでの出来事です、その歯医者さんに私はもう50年近く通っています。数か月前くらいからそこの息子さんがインターンを終えたらしく時々診察をしています。その日はなぜか看護師さんが全く見えなく先生とその息子さんの二人で次々と見える患者さんに応対していました。
 いよいよ私の番です先生は一人で私の治療をして下さっていました、少しすると息子さんに「いいかな…」と声をかけましたすると息子さんは快く、「大丈夫だよ…」と言ってバキュームというのでしょうか、あの水が出て吸い取っていく機械で私に対応してくれたのです。
 その時先生は要するにおとうさんです、「助かりました、有難う、有難うございました。」と、まるで他人様に言うように目上の人に言うように丁寧に何回も何回も我が子にお礼を言うのです。私はその一部始終を見ていたわけですが、なんて礼儀正しいきちっとした親子なのだろう…と痛切に思いました。それに引き換え我が家では私は自分は母親として当然の事をしているに過ぎないのに長男に強くものを言います、強く言ってもいいかもしれませんが何か頼みごとをやってくれた時「有難う」は言っているつもりですが、「丁寧に…」からはかなりかけ離れていたように思いました、反省したのは申すまでもありません…、この親子のようにきちっとした対応をして丁寧に子供を育てていたらもっときちっとした丁寧な人間に育っていたのかも知れない…と猛反省しているところです。長男、「40代独身」は私の育て方のせいかも知れないと…。
 今からでも遅くはないかも知れないとそれからは今までと同じように頼んだことをしてくれた時でも「そう、もうやってくれたの…早いわね、有難う」と、いつもより一言、二言、多くの言葉を添えるようにしています。たとえ家族、親子であっても「有難う、すみません、等の言葉はハッキリそして心を込めて丁寧に」が大事だと思った日でした。
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 フリルン誕生秘話 その8   《「本体両面にリボン状のものを縫い付ける…、でもそれを筒状にすると決めたのは夫でした、この発想がフリルン誕生の瞬間!》

 このフリルンタオルを始める時思った条件が幾つかあります、〇肩甲骨の間のへこみをロボットが押し洗いしてくれるようなもの 〇それは女性が手に取って貰えるような可愛らしさ色気があるもの 〇使った人がああ、いい気持ち…、と思って頂けるもの 〇決して高価なものであってはならない等です。重さがかなり影響してくると思った時通常品の幅30センチにリボン状のものを縫い付けてはかなり重くなり不利だと思いました。それで通常の半分くらいの幅18センチの生地の両面にリボン状の生地をタックを取って縫い付けてみました。そのリボンの幅を40㍉、45㍉、50㍉といくつか試してみました。見た目や実際に使ってみるとそれは50㍉が一番適当の様でした。両面にタあんックを取ったリボン状のものが縫い付けてあるわけなのでこれでも普通の使い方をすれば中央のリボン状のものが出っ張り肩甲骨の間にフイットしていいわけです…。が、何かそパットしません…。この一部始終をものも言わず見ていた夫は「そんな事をしないでこうすればいいじゃないか…」と言ってそれを縦にクルット筒状にしたのです。
 
  このフリルンタオルを始めようとして私が次兄から資金を借りてこようとしていた時から「そんなことは絶対にやめてくれッ、絶対にッ、昔から特許貧乏と決まっているんだ、やめてくれッ」と普段物静かな夫は気が狂わんばかりに反対をしていました。私はその言葉を無視して突き進んでいました、偉そうなことを言って勝手な事ばかりやっていた私ですが結局最後に決めたのは夫でした。発明品フリルンタオルの生みの親は99,9%は夫なのだと思った瞬間でした…。
 今は亡き次兄に「必ず返すから…」と約束をして高級マンションが買えるような資金を出資して貰いフリルンの生産はスタートしていきます。私の無謀ともいえるこの挑戦に快く出資をしてくれた次兄の事を忘れてはならないと思います。

 この時はまだこれからが本当の山を越えていく道になろうとは夢にも思わない自分でした、知らないということは恐ろしい事です。「良いものイコール売れる」とは限らないのです。でもフリルンちゃんは我が家の4人目の子供です、親として「この子の命を絶ってはならない…」「フリルンちゃんは天からの神様からの預かりもの」この二つの想いが今日も私をつき進めさせてくれるのです…。l

見事に外れた即売会で学んだ『初心忘れることなかれ…』でした。  フリルンタオル誕生秘話7(生地は見つかり試作はスタートする。)

 先週の水曜日11月9日でした、あの両国にある国技館で取引先の信用金庫が主催する「産業フェアー、即売会」に初めて出店させて頂きました。が、見事に大外れの結果となりました。出展料が6万円売り上げがなんと数万円です。このような即売会ではこの22年間で最低の結果となりました。

 当社は一言でいうとお客様に馴染みの無いというか薄い、世の中に知れ渡っていない商品を販売している訳です…、勿論商品にはかなりの自信を持っているわけですから、どんなに時間がかかろうとも諦めるわけにはいきません…。例え(痒い所に手が届く)フリルンが300万個売れていてもそのくらいでは多くの人にとても認知して頂いてはいないわけです。今まで世の中に無かった商品はそのようなものだと思います、そのほかシミ、シワ、イボも取れる「セランピア」や抜け毛、増毛の「髪の幸せ」も同じです、ですからどうしても買う買わない以前に説明だけは聞いてほしいのですが、それが全く出来ないのです。聞いて頂けないというか取り付く暇もないのです、「わぁ~わぁ~」「きゃ~きゃ~」「ペチャペチャ」だけが通り過ぎます。隣の小間の靴下やハンカチが並んでいる100均のような店に主婦の方たちは殺到しています…。

 でも、大いに反省した日でもありました、このように即売会に出店させていただくようになってから20年余りが過ぎたわけですが、その間フリルンタオルはじめそのほかの商品も徐々に売れていくようになってそのことに慣れていってしまったように思います。フリルンだってはじめは買って頂けるどころか横目で「アハハっ」と笑われただけのものでした。それを諦めずに一人ひとりの方に「ちょっとごめんなさい…、背骨をこのように人に押してもらう、さすって貰うといい気持ちですよね、血行も良くなります、それと同じことがこのフリルンで自分で出来るんです、とにかくまず一個です、今日は特別価格になっています。」と、諦めずに続けた結果が今日のフリルンの結果なのです。それが今では「これってすごくいいのよ…」「これでなくてはだめなの…」「頼まれたの、どうしてもこれを買っていかないと」等など、有り難い事にファンがふえて下さったのです…、が、それは同じイベントに出店しているからこそなのです。

 全く新しいい開拓地ではそれは20年前と同じことの始まりであったのですそれを自分たちはすっかり忘れていたのです。このように納得していても人は弱いものです、体が言うことを聞きません…、早朝というか夜中の2時に起きてお弁当作りをしていた私はとうとうダウンしてしまい、会場にある升席で横になってしまいました。
 帰宅すると私たちの帰りを待っていた夫は「どうだったぁ~」と、「全然だめだったぁ~…」と元気のない私に「怪我もなく事故もなく無事にわって上等じゃないか…」と、全くその通りです。いつもは呑気ものそのものの夫にイライラしている私ですが今日のこの言葉は深く心に浸み込みました。「初心忘れることなかれ…」とはよく言ったものです。

 フリルンタオル誕生秘話その7(生地は見つかり、さあっいよいよ試作が始まりますっ…。)
 その繊維メーカーのM社は誰でも知っているよな大手企業です、私が誠意をもって精いっぱいぶつけてもきっと話も聞いてもらえないだろうと思いました。そうだ浄水器をかなり売っていることは知っているはずだ、浄水器の展示会でそのメーカーの担当者に何回かお会いしたことがある…と思いました。浄水器を仕入れている金物問屋Y社に先方の担当者を紹介して頂きお会いすることが出来ました。
 浄水器はその繊維メーカーのM社からY社へは直接でなく東証一部上場されている商社、T社経由できていました、T社のUさんとお話をさせて頂き試作に使う生地のお願いをしました、夢にまで見た生地は柔らかいのから固めまでよりどりみどリです10種類程がアッという間に集まりました。ああ、やはりあるところにはあるものなのだ…と、部屋いっぱいに広げられた生地を眺めた日を今でも覚えています。さあっ、いよいよ試作の始まりです、幅30センチの生地に幅5センチに同じ生地を幅5センチのリボン状に裁断したものを縫い付けていきました。
 その時人間にはどうも「五感」というものがあるようだ…、つかんだ時の体積、持った重さ、目で見た美しさ…、そのようなものがきっとあるに違いない…と思いました。早速店で売っているアカスリ10種類ほどを計ってみました、やはりそうでした軽いもので35グラム重いものが50グラム近くあります。重さをこの平均に持っていかなければならないと思いました。

「絵手紙…」で人の輪が広がる…。  フリルン誕生秘話その6(試作に使う本体の生地探しです…。)

先日の日曜日あるイベントに当社の商品を持って販売に参加させて頂きました。このようなことは多くても年に6~7回ですが、普段全くお会いできない顧客様にお会いできる数少ない機会でもあります。お声は40代?と思っても実際は80歳過ぎている人もいれば当然その逆もあるわけです…。いずれにしましても話に花が咲き商売抜きにて楽しいひと時です。
 その日、自分の販売ブースの近くで中年女性が販売する「植木のコーナー」がありました、「絵手紙に使える何かいい材料はないか…」と、のぞき込みましたが季節的に無理があるようでサボテンの種類がほとんどでした。「サボテンか…」と思いましたが名前は忘れましたが、とりあえず鉢全体に細めの柿の種を植えこんだような直径20センチ足らずのものを二つ買い求めました。そして「絵手紙に使いたいんですが何かありませんかね…」と、するとその販売の女性は「この、ザクロおまけに上げるからいかが…」と箱から二つ取り出してくれました、その一つにはかなり葉がついていますそして「この葉っぱも書いてね…」と。

、きっとのこの女性も絵手紙に興味があるというか描くのかも知れないと思いました。「絵手紙…」と聞いただけですぐ「ざくろ」を思ってくれたわけですから、きっとそうなのでしょう。仕事仲間で月に一度絵手紙を習い始めてもうすぐ2年になります、自分の中で変わったことが幾つかあるように思います。まず「すぐ決めない」「よく考える」「白、黒、でなくてもグレー、どちらでもいいのでは…」と物事をとらえるようになったと感じています。そして「これを絵手紙に描こう、この角度で描こう、いやこちらからの方がいい…」等観察する力が出来たように思います。
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 フリルン誕生秘話その6  (試作をしたくても、その生地がない…、ヒントは思いのほか近くにありました…)
 さてその丸いタワシにヒントを得てフリルンの試作は大きく前進できそうでしたが試作に使う生地がありません、動こうにも動けない悶々とした日が続きました…、今考えるとバカなことをやっていました。自宅からそう遠くない生地問屋の集まる東京の横山町へ探しに行ったりしていました。どの店に行っても「そういうものは扱っていません…」の一言で終わっていました。
 仕事柄あちこちのイベントにいくと飾りつけに天井からそれに使うナイロン生地がカラフルに紙テープのように張り巡らされているのを見ると「ああ、やはりあかすりに使うナイロン生地はあのようにあるんだ…」と恨めしそうに見つめるだけの日が過ぎていきました。なんとしても生地が無くては試作は一歩も進まないのです。

 その頃「汚れた水道水」がかなりの話題になっていました、あの富士山のふもときれいな美味しい水の富士市で生まれ育った私には水の事はかなりの自信がありました。M社の家庭用小型浄水器をレジのすぐ近くに展示して殆んどの来客に「ろ過した水で炊くご飯は香りも味も全く別物のように違いますよッ」「お茶の香り、色まで浄水器の水を使うとわかりますっ」「水道水をどんなに沸騰させても、カルキが飛ぶだけで汚れはたまっているわけです…」等と説明して、売れる日は一日数十台を販売していました。はじめは問屋の担当者にも「デパートやホームセンターでプロのマネキンが実演販売しても一日1個売れるか売れないかだから絶対にやめた方がいい、返品なんて言っても絶対に引き取らないから…」と言われていました。私は性格がよくないのかひねくれているのか人に反対されるとどうしてもやりたくなるのです。当時1個8千円ほどした小型浄水器を結果的にひと夏で千個以上は販売させて頂きました。
 忘れもしません…、ある日の夕方その浄水器に使っている白い「中空糸膜」に目が留まりました、「そうだっ、これは大手繊維メーカーのM社の品だM社へ聞いてみよう」と。

今、77歳の小学校の同窓会に68名もの人が参加! フリルン誕生秘話その5(ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…ナイロンたわしにヒントを頂く!)

 少し前ですが、生まれ故郷の静岡県富士市に行ってきました、その日私の大好きな富士山は薄雲にちょっとかくれんぼをしているようでしたがお陰様でまずまずのお天気に恵まれました。小学校の同窓会の出席のためです、地元の二つの小学校の合同ですからある意味では中学校の同窓会とも言えます。富士山の懐につつまれ厳しい北風も知らずに過ごした日々を思い出します。
子供の頃の面影が全くなくどうしても思い出せない人、その頃と変わりなく「ああ…、あの頃もこんな感じだった…」と、すぐ思い出させる人…と様々です。88歳と92歳になる恩師も見えて下さいました、高齢の二人の先生に出席願うのに幹事の方はご苦労があったようです。一人ひとり皆さんが自己紹介です、「今は娘夫婦と同居しています」「私には子供が5人います、そして孫が11人になりました。」「7歳からの日本舞踊を続けています、今は生徒さんに教えています。」等いろいろありました。その中で心に残ったのは「今日は身体障害者の子供を預って頂きこの会にきました…」と、心を開いておっしゃって下さった方が忘れられません…。ちょっと席が遠かったのでお顔もお名前もわかりませんでしたが、今の状況を素直に話して下さったこの方がとても立派だと思いました、自分だったらこのように言えるだろうか…と。
そして当時からただひたすらに黙々と何かをやっていたMさんがリーダーとなってあれこれとお膳立てをして進めて下さったようです。私は思うのですがこのような会はどのように声をかけてどのような内容でするかで参加者の人数が決まるのだと思います。そして数日前には幹事をやって下さったⅯさんから数枚のスナップ写真が一言を添えて送られてきました。それには「その節は遠いところ有難うございました。昔の姿そのままさっそうと入ってきましたね…」と。私は77歳ですよ、いくらのっぽの私でも「さっそう」としているわけはありません…が、例えお世辞でもこのように言われると嬉しいです。今度いつ会えるか…とても楽しみです。すっかりお世話になったMさんにこの「青春の日の思い出」の絵手紙にお礼の一言を添えてお送りしました。

 実は私はこの会に出席するかどうかかなり迷っていました、それはずっと仲良くしていた二人の人が都合が悪くて今回の会には欠席するとわかっていたからです。寂しい思いをして「やっぱりこなければよかった…」と思いたくなかったのです。でも、決して若くない自分です、「あの時やはり行けばよかった…、人がどうであれ自分の気持ちに正直に生きるのが自分らしい生き方ではないのか…」と自問自答した末に出席させて頂いたのです。でも、Mさんのお蔭でとても楽しくいい思い出の会となりました、人はどこでどうお世話になるのかこの先も全く分かりません…、自分も人様にせい一杯の言葉を添えたいと思います。
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 フリルン誕生秘話その5  (ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…丸いナイロンたわしにヒントを頂く」
 リボン状の生地でバラのようなものをいくつか縫い付けてみましたが、実際に使ってみるとそれは只コロコロとするだけで背中を押し洗いするというものにはほど遠いものでした。背中を押し洗いするということは相当の力がかかるものだということが分かったわけです。
 その頃、町中で洋傘の回りに付いているフリル状のものが気になっていました、又、赤ちゃんの靴下の上部についているフリルが気になって見とれていたりしていました。アイデアというものは焦ったり、急いだりしても浮かんでくるものではありません…。只「押し洗い」そして「可愛いいもの…」どうしてもこの二つの言葉が頭から離れません…。「ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなもの…」それが可愛いものでなくてはならないのです。この品が完成されて店頭に並んだ時きっと女性が手に取るでしょう…、その時「これってなんなの?」「わっ~面白そう…」「これって可愛いね」と言って頂けるものでなくてはならないと思ったのです。

 当時雑貨店をしていました、店の棚の隅に直径10センチほどの一つの丸いナイロンタワシガ売れ残って転がっていました、私はそのナイロンたわしをあれこれといじっていました。するとそれはナイロン生地の真ん中で釣り糸のようなものでくくってあるだけのものでした、只ナイロン生地の張りで丸くなっていているわけです。それを見たとき「アッ、これだっこれでいけるっ」と思いました。長いながいトンネルから抜け出せるような、重い荷物を肩から降ろせるような何日も眠れなかった重苦しいい気持ちから解放された時でした。私はこの時「神様が天から降りてきた…」と思いました、どうも発明とはこのようなものらしいです…。