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「認知症の人」も褒められると嬉しいと感じる…。       〇フリルンタオル誕生秘話その14「規定より軽いものが…」

〇皆様こんにちは少し間が空いてしまいました…、ごめんなさい。今年の桜も満開となりましたね、都心もそうですが私の近所の桜並木もすっかり満開となっております。昨日その近くを通りましたらハラハラとピンク色の花びらが舞い降りていました。「花の命は短くて…」「三日見ぬ間の桜かな…」などの言葉がぴったりですね。

 先日、「認知症を予防しよう、そして進まないよう食い止めよう」の懇親会に行きました。その話の中に認知症の人もなんで褒められたか忘れたが、褒められた時の嬉しさは忘れないと…、褒められると誰でも嬉しいいです。いい年をして自分もそのような時があります、朝からウキウキして鼻歌を歌いながら台所をしたりしている自分にあきれます、よく考えるとほんのちょっとしたことを誰かに褒められたりしたときです。そして認知症の人には怒ってはいけないということも知りました。

 ここのところ自分の回りの人たちが相次いで「認知症」になっているように思いいます、残念というか悲しい…、もったいない…そんな切ない気持ちになるのです。特に生まれ故郷のあの富士山のふもとで1人で生活をしているH子ちゃんです、小学校からの70年来の親友です、H子ちゃんはいつもいつも私を褒めてくれていました。例えば「みっこちゃんは頭が良いだけでなく人の喜ぶことをいつも考えてくれるのね」「いつもいつも弱い人の見方をしてくれて、強い人にも言いにくい事をハッキリ言ってくれるわ…」等など、ちょっとそれはほめ過ぎではないの…と言うくらい私を褒めてくれていました。私も負けずにH子ちゃんを褒め「H子ちゃんは本当にいい声で歌が上手ね…」「H子ちゃんの女らしいしぐさが私には無いわ…」等です、二人は褒め合って続いていました。

 が、昨秋の事です…、送った絵手紙をいつも褒めてくれるのに急に「どうして私にばかり絵手紙を送ってくるの?YちゃんUちゃんにはどうして出さないの?」とハガキが来ました。私はビックリしてすぐ携帯へかけました…が、出ません、何回も何回もかけましたが同じです。「可愛さ余って憎さ100倍…」等と言う言葉が脳裏をかすめます…、そうでは無いかも知れませんが、きっと何かが心を閉ざしてしまったのでしょう…。最近やっと自分の中にも諦めにも似た気持ちが生じています、勿論がっかりです、寂しいですそして辛さが残ります…、でも、いつか又何事も無かったかのように話が出来る日が来ることを願っています。

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 〇フリルンタオル誕生秘話その14   「規定の重さより軽いフリルンが…」刑務作業所生産は見事失敗に終わる。

 そこは横浜にある地下鉄の駅から徒歩で行けるビックリするほど都心に近いところにありました。主に若い人が収容されているところと聞きました。北関東のT刑務作業所の紹介でした、そこが工事中とのことで2年の歳月を待ちに待った刑務作業所であったわけです。が、思う様な品が仕上がってくる事は一度もありませんでした。フリルが平坦に縫製されない…、団子のように一か所に固まったついてしまうのです。勿論全品検査をして納得できるもののみを出荷したつもりでしたが、検査の仕方が甘く適性品で無いものを出荷した可能性は大いにありました、今頃思ってもどうにもなりませんが後悔はいっぱいです。

 そして、ある日の事ですふと思ったのです…、「これは軽いのでは…」と、計ってみると確かに軽いのです、「なぜ?…、どうして…」不安がし募ります。その当時2社から生地を入れて頂いていました、結果論ですがその1社が約束の製糸でなくすこし細いのを使って生地にしていたのを使ってしまったのです。まさかそんな事をするとは夢にも思いませんでした、すぐ人を信用する信用してしまう自分の性格の甘さが大きな失敗を生むことになりました。

 「お客様の手に渡ってから、クレームが来てからでなく良かった…」と思うしかありませんでした、そんな薄い生地に気づかずフリルを縫い付けたその刑務作業所の責任者に怒りはありましたが、「そのような事にも注意して下さい」と言わなかった自分に落ち度があったわけです、お世話になった期間はあまりにも短く一年にも満たなかったと思います。このようなところで造って頂けば市場よりはいくらか安い工賃でお願い出来るし、このフリルンタオルは価格さえ安く売ることが出来ればもっともっと需要が増えるにちがいない、ひとりでも多くの人に喜んで頂き使って貰いたいと思っていました。夢にまで見た刑務作業所でしたがそれは思ってもみない結末となってあっさり終止符を打つことになってしまったのです、全てを諦めてこの工場を後にしました。
 町中に出るとクリスマスが近い横浜の街はサンタクロースやトナカイのイルミネーションが赤やオレンジ、グリーン、イエロー等々色がキラキラと華やかに何事も無かったように輝いていました。20年程過ぎ去った今でもその時の誰にも話すことも聞いて貰う事も出来ない情けない自分の落ち込んだ気持ちと、横浜の華やかな町中の風景の落差が大きく宵闇迫ったこの風景を自分の気持ちの中から消すことが出来ません…。

 

 

「幸福学」…、ボールペンを加えた時の変な自分の顔…。   フリルンタオル誕生秘話その13

 少し前の事です、テレビで見たのですが「幸福学」と言うものです。普段の生活で「あれもやらなければ、これも…、ああ、16時の出荷に間に合うだろうか…、やる気が出ないどうしても気分が乗らない…」「そういえば前に頂いた果汁100%のブドウジュースがあるちょっとあれを呑んでみよう…」なんて思ったりしていました。
 その「やる気にならない…」のを「やる気にする」「幸福学」と言うものをテレビで見ました。大股で早めに上を向いて早く歩く、ただ上を向くだけでも違う、又はボールペン、鉛筆などを加える、そうすると脳が騙されて笑顔になるというわけです。
 そのボールペンを加えるというものを早速実行してみました、鏡に映してその顔を見てみました。何かひきつっているようなお世辞にもいい顔とは言えません……、余りにも自分が想像していた顔とはかけ離れた馬鹿馬鹿しいというより滑稽であきれてやめました。
」と腕が抜けるくらい天高く腕を突き上げるのがいいようです。3回ほどやってみました、「やる気がない…」寝ぼけたことは言ってられない目が覚めた気分になりました。そしてこれは「幸福学」というより「気分学」の方がいいようにも思った次い第です。

 〇フリルンタオル誕生秘話その13  「都心に近い刑務作業所に依頼するが…フリルがどうして も平均に付かない…」

 2003年夏でした、北関東にある刑務作業所を訪れてから2年の歳月か流れていました、フリルンの縫製をお願いする待ちに待った作業所でありました。そこは神奈川県にあり、地下鉄の駅から徒歩で行ける都心に近いところでありました。主に若い青年が入っている刑務所内の作業所で1000人程が定員とのことでしたが既に定員をオーバーしているとこ事でした。

 白っぽいコンクリートで出来た建物が何棟も建っていました。 広々とした駐車場にはそこで消費する日用品や食品と思われる品々を搬入するのでしょう、大型のトラックが忙しそうに行き来していました。建物の回りは緑豊かな北関東のそことは違い、コンクリートの上に置かれた少しばかりの鉢植えの赤や黄色の草花が来る人の気持ちを和ませてくれているようでした。

 担当の方とお会いしました50代後半の真面目で静かな実直そうな感じの男性でした、ここはその現場を見せて頂くことはできませんでしたが、特にフリルを平均に縫い付けること等を事細かく説明させて頂きました。フリルが平均につくどころか一部分にまるで団子のようについてしまっているのです。今度こそ、次のロットこそ…といくら期待をしても待っても、どんなにこころ待ちにしてもこちらが思う様なものは出来てきませんでした。
「平均に縫製する」ことの難しさを心底知った時でもありました。これが最後までこちらの希望というか納得することはなくここでの作業は終止符を打つことになろうとはその時は夢にも思いませんでした。
 家族が猛反対する中で私は「はじめは上手く縫えなくても少し慣れればきっと。上手になる…」と人の言うことに耳を貸さず、ただ少しでも安くできないか、安くすればフリルンタオルは絶対に売れる…。売れるに違いない…、そんな一途な思いが走っていました。
 夫は凄く怒って「絶対に上手くはならないんだ、上手くなったころはそこを出てしまうからいつもいつも不慣れな人が縫うことになるんだ…」と、今考えれば全くその通りなのですが、熱くなっていた私はその事を理解しょうとも思っていませんでした。帰りに隣接しているそこで作った家具や小物を即売している店舗に寄りました。勿論指導を受けて作ったものでしょうが、タンス、小引き出し、机、椅子、小物などの主に民芸品が見事に出来上がっていました。

 

人の言葉の裏を読めなかった自分…。  フリルンタオル誕生秘話その12 「自由と言うことの幸せ

 年が明けますと当然の事ながらこのシーズンは「新年会」が幾つもあります、私は若くないですからギリギリの数で止めておこうと思います。が、どうしてもお断りできないとか、やむを得ず…等と言うこともあります。少し前の事でした仕事仲間の責任者が都合でどうしても出られなくそのピンチヒッターとして女性ばかりの100人余りが出席する新年会に出かけました。
 同じテーブルには来賓の方々の他にその会の責任者である70代前半の女性が同席されました、世間話を進めるうちに「お宅の会はいつも御馳走が沢山並んでおりますものね…」このようなことを云い始めました。私は来賓席に座ったためかかなり緊張をしていました「こんなところへ座ってしまいこの会場に自分の事を知っている人がいたらどうしよう…」等と考えていました。言い訳になりますがそんなこともあったのだと思います、なんとこのような返事をしてしまったのです。「私どもの会も
以前は業者のオードブル等をとっていたのですが、なにか中身がないように感じられて役員さんで手分けして作ってくることにしたんです。例えばIさんはから揚げ等、Uさんは煮物がお上手なのでそれをたのみ、私はおにぎりになるかちらし寿司になるかわからないでけどご飯もの…というぐあに…、同じようなものがだぶらないように…」等と言ってしまいました。
 帰宅してから「自分はなんてバカな返事をしてしまったのだろうか…とても恥ずかしい事を云ってしまった…」と、そんなことを云うべきでは無かったのだと。「そんなことはありません、今日のこのお料理は普段家ではお目にかかれないような、凝ったお料理が並んで皆さんそれぞれの腕を振るわれたのですね…」とこのような受け答えをするべきだったのに…と、大いに反省をした次第です。
 お客様とお話をさせて頂くとき「相手はどんな言葉を待っているのか…」「イエス」が正しいのか「ノー」が適切なのかいつも考えているつもりだったのに慣れない席で自分はなんて「軽い言葉」を発してしまったのか…とここ数日後悔しきりです。

この北関東にあるT刑務作業所を後にしたのは梅雨時の雲の切れ間から真夏の様な太陽が照りつける7月の中旬の事でした。駅までの徒歩20分近い道でしょうか帰りはとぼとぼと歩いて帰りました、この時のことを余り覚えていないのが正直な気持ちです。興奮というか自分は見てはいけないものを見てしまった…、知らなくていい事を知ってしまった、或るいはこれは天が自分に見せてくれた世界なのかも知れない…とか、わけのわからない事を考えながらボーっとした気持ちで歩いてきたように思います。
 緑濃い山々が見える200メートル位の大きな橋を渡ったところの木陰で一休みです、汗を拭いながらそばを流れる小川をじーっと見ていました。その水のなんときれいなことでしょう、川底の一つ一つの石も水苔もくっきりと見えます。その「水さん」達ははしゃいでいました流れ来る木の葉を飛び越え石から石へ岩から岩へ「チョロチョロ」「ピチャピチャ」「ビューンビューン」、どこへ飛ぼうがどこへ座ろうがなんの話をしようが全く自由です好き勝手です。好きなところへ行ける、自由な話ができる、勝手にどこへでも行ける、寝ようが起きようが誰に何を言われることもない…、普段自分が思ったことも全く考えたこともないそれらが、宝物のように感じました、自分は宝の山で生活をしているんだ…なんてもったいない事をしていたんだろうか…と。。
 ここの刑務作業所はその時は仕事がいっぱいと言うことで神奈川県にある主に青年が入っている刑務作業所を紹介して頂きました。そこは工事をしており2年後に改めて行くことを約束しました。

 

墓地で「持ちましょう…」と水を持って頂き複雑な心境でした…。  フリルンタオル誕生秘話その11  刑務作業所を訪れる…」

明けましておめでとうございます。早々と今日は7日となりました…、皆様はどんなお正月休みでしたでしょうか…。私は毎年のことながらお正月休みに年賀状を
書いている次第です、すみません…。
 お正月早々ですが人生で初めての経験でした年末にお墓参りに行った時のことです、水汲み場で品の良い60代半ばくらいの男性が一生懸命花立を洗っていました。その姿に見とれて「いいですねえ~、ご主人がお墓参りにきて下さって奥さんが羨ましいです…」と私は声をかけました。するとその方は「今はそういう時代でしょっ」と言うのです、そして「女の人はあれやこれや忙しいですからね~」と。
 そうこうしているうちに私のバケツに水が溜まりました、するとその方は「お持ちしましょ」とサッと私のバケツを持って下さったのです。「どちらですか…」と
さっさと歩き始めました「女の人からすれば、この水も結構重いですからねぇ…」と。、私は「すみませんです…、」といい、後を追う様に歩きました、そして思わず「旦那さんのような方と一緒になりたかったです、と主人の両親が眠る墓地で不謹慎なことを言っていました。
 そして改めて思いました、自分もいつの間にか人様に墓地の水を持っていただく年になっていたんだ…と、人様から見ればきっと「重いこの水を持ってあげよう…」或るいは「危ない足取りかも…」と映ったのかもしれません、どちらにしてもとても清々しい、そして暖かいいいお墓まりでした、有難うございます。

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 フリルンタオル誕生秘話 その11  価格を少しでも下げられないか…の思いで「北関東にある刑務作業所を訪れる…」

 平成10年梅雨休みの夏の太陽が雲の切れ間から照り付ける7月上旬の事でした、北関東にある「T刑務作業所」を訪れました。勿論人生で初めての場所です、10メートルはあろうかと思われる塀がぐるりと回されています。鉄製の古びた門を入るとキーンと張り詰めた静けさがありました、植え込みの木々の根元は雑草など一本も見当たりません。受付を通り係の方とお会いしました。早速その現場を見せて頂けることになりました、するとその方は「普通は女性の方はこの様なところには入れませんが吉村さんはこの商品を発明した方のようですから特別です。日本の女性でこの様なところへ入るのは多分吉村さんが初めてでしょう…」と言われました。この時の「日本の女性で吉村さんが初めて…」のこの言葉が後々も自分の生き方進むべき道しるべになっていった様に思います、胸に心に深く刻み込まれました。

 その作業所は昔の学校の渡り廊下ように木製の建物木製のすのこがひかれていました、50メートル程歩いた先にありました。案内をして下さる人の他に私の前と後ろにひとりづつの警備の人がつきました。「キョロキョロ見ないでください、部屋を出る時に後ろを振り返ってお辞儀をしないでください、そのまままっすぐ出て下さい。」と説明を受けました。
 一歩中に入るとそこは70~80坪ほどの作業所でした、作業している人は4~50人はいたでしょうか…、窓はいっぱいに明けられ大きなスタンド型の扇風機がその日の真夏の様な暑さを吹き飛ばすかのように目いっぱいの風を送っていました。 作業をしている人の後方から入りました、男性のみですそのがっちりとした骨組み、大きな背中にはその人が今まで生きてきた歴史を見るように感じとれました。そして息を呑むような恐い入れ墨が掘ってありました黒、紫、そして朱色です…絵は竜が多かったように覚えています。数分の事でしたが頭が真っ白と言うか自分は息をしていなかった様にも思いました。
 有名なデザイナーのさんの膝掛けのようなものを縫製していると聞きました、もう冬物の制作に入っているんだな~と思いました。このようなところへ来てしまうか、来なくて済むかは紙一重のところではなかったのか…と思いました、自分にも一つ間違えばこのようなところへ来てしまったかも知れないと思う事ががありましたから…。

 ここの作業所はその時は仕事がいっぱいとのことで他を紹介して頂きこの刑務所を後にしました。夏の太陽が真上から照り付ける暑い日でした。、

「『ツン』と、こない簡単なます」を今年も作ります。  フリルン誕生秘話その10「パテントも申請しなくては…」「刑務作業所を知る」

 ここ10年ほどになりますがこの時期になりますと私は「ツンと、こない簡単なます」を作るのにあれこれと材料の手配に追われます。なますですから当然大根、ニンジン、タコ、そして柚子です。それに調味料のお酢(穀物酢)、日本酒、味醂、砂糖などです。
 これはテレビで知ったのですが大根や人参は千切りにしません、大根、ニンジンともにいちょう切りです、太めの大根でしたら縦に5~6分等にします、普通の太さでしたら4つ切りでいいと思います。それをスライサーでスライスします、大根2本に対し中くらいの人参を1本をこれもスライスします。スライサーを使うとき用心のために利き手は滑り止め付の軍手を使うと大根や人参が滑らずかなりやりやすいし、安全です、是非お試し下さい。

 今日は、中くらいの大根2本と人参中を1本のなますの調味料の割合でご案内させて頂きます。お酢、日本酒をカップ半分、みりんカップ半分に砂糖大匙4杯を入れて30秒ほどレンジにかけてお砂糖を溶かしておきます。スライスした大根と人参は適宜に塩を振り1時間ほど置きます、そしてあれば野菜水きりでしなっとした大根と人参の水切りをします。野菜の水切りが無ければ手で絞って下さい。そして『酢洗い』です、絞った野菜にカップ半分ほどのお酢をかけてもう一度水切りをします。

 小さじいっぱいほどのお醤油を入れてあとは味見をします、『少し甘いな~』と言うくらいが出来上がりは丁度いいと思います。蒸しダコ(これも酢洗いをして入れ、ましょう)、ゆずなどを入れて出来上がりです。タッパーに入れるのもいいですが、私はジップロック等2重にビニール袋に入れて冷蔵庫で保管します、(この方合わせ調味料に無駄が無いように思います)3日目くらいから食べ始めます。

 血圧の高い私はこれを漬物代わりとして年が明けてもかなり食べ続けています、何故か全く飽きないのです…、不思議です。知り合いにも配ります、毎年皆さん「いい味ねぇ~」「今年も待っているのよ…」なんてお世辞でも言われると作るのに燃えます。大根をスライスするときこの寒さでも汗が飛ぶのです、これは本当です。アハハ、何本作るかって?三浦大根大き目を20本くらいでしょうか…、いい年をして(77歳)可笑しいい話でよね。

 この白い「つばき」は数日前に友達ので頂いたものです。なんと白い花のふちがピンク色をしていてその清純さというか純粋さというか、「ああ、このような花があるんだ…」と、しばし見とれました…。

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 〇フリルン誕生秘話その10    「少しでも価格を下げられないだろうか…」「パテントも取らなければ」そして「刑務作業所を知る…」 

 フリルンタオルを流通に乗せる…、その前にしておかなければならないことがあります。それはこの形を「パテントで抑える」と言うことです。このようなことを専門的にやって下さる「便利屋」さんと言うものがありますがそこへ払う資金が無いのですから、自分でやるしかありませんでした。 
 虎ノ門にあります特許庁へ出向きました、濃いグレーの建物です、ビルを見上げるような高い天井です。「ああ、日本はたいしたもの、特許庁と言うことろは凄い建物だ、こんなものが日本にはあるんだ…と」とぐるりと周りを見回したのを今でもくっきりと覚えています。 パテントと言っても幾つかあります、そのものはあるがそれに新しいものをプラスされたもの「実用新案」、今までになかった形の権利を取る「意匠登録」そして、そのもの自身が無かった全く新しいもの「特許」などです。
 アカスリ自体はあるのですから「特許」と言うわけにはいかないと思いました、それで「実用新案」を申請することにしました。説明書と言うか「これを読んで下さい」と渡されたものは厚さ5センチ余りはあるような電話帳の様なものでした。数ページ読んでみました、頭が割れそうなことがびっしりと書いてあります。
 「ああ、ダメだ」と思いました、こんなものをまともに読んでいたら頭がおかしくなる「何が何だかさっぱりわからない、わからないことがわからない…」そんな感じでした。でも、申請しない限りこんな形、こんなものはアッと言う間にまねされて終わる…。なにも難しく考えることはない、普通に考えて普通に書けばいいのだ…と必死で自分に言い聞かせました。

 人と同じことをやっても中小企業いや零細企業に明日はない、次々と真似されたことを思い出します、自営業の辛さと言うか苦しさと言うか商売の永遠の戦いであると思いました。「時代の波にはどうやっても勝てない…」と言っていた亡き母の言葉を思い出しました。それらが無かったら特許庁への書類など絶対に出せなかったと思います。人生に無駄は無い…とはこのことだと思いました。

 そしてある日「刑務作業所がかなり安く仕事をする」との情報を得る、刑務作業所を探し歩く自分…「日本で女性がこのようなところへ足を踏み入れるのは吉村さんあなたが初めてでしょう」と言われる。