今、77歳の小学校の同窓会に68名もの人が参加! フリルン誕生秘話その5(ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…ナイロンたわしにヒントを頂く!)

 少し前ですが、生まれ故郷の静岡県富士市に行ってきました、その日私の大好きな富士山は薄雲にちょっとかくれんぼをしているようでしたがお陰様でまずまずのお天気に恵まれました。小学校の同窓会の出席のためです、地元の二つの小学校の合同ですからある意味では中学校の同窓会とも言えます。富士山の懐につつまれ厳しい北風も知らずに過ごした日々を思い出します。
子供の頃の面影が全くなくどうしても思い出せない人、その頃と変わりなく「ああ…、あの頃もこんな感じだった…」と、すぐ思い出させる人…と様々です。88歳と92歳になる恩師も見えて下さいました、高齢の二人の先生に出席願うのに幹事の方はご苦労があったようです。一人ひとり皆さんが自己紹介です、「今は娘夫婦と同居しています」「私には子供が5人います、そして孫が11人になりました。」「7歳からの日本舞踊を続けています、今は生徒さんに教えています。」等いろいろありました。その中で心に残ったのは「今日は身体障害者の子供を預って頂きこの会にきました…」と、心を開いておっしゃって下さった方が忘れられません…。ちょっと席が遠かったのでお顔もお名前もわかりませんでしたが、今の状況を素直に話して下さったこの方がとても立派だと思いました、自分だったらこのように言えるだろうか…と。
そして当時からただひたすらに黙々と何かをやっていたMさんがリーダーとなってあれこれとお膳立てをして進めて下さったようです。私は思うのですがこのような会はどのように声をかけてどのような内容でするかで参加者の人数が決まるのだと思います。そして数日前には幹事をやって下さったⅯさんから数枚のスナップ写真が一言を添えて送られてきました。それには「その節は遠いところ有難うございました。昔の姿そのままさっそうと入ってきましたね…」と。私は77歳ですよ、いくらのっぽの私でも「さっそう」としているわけはありません…が、例えお世辞でもこのように言われると嬉しいです。今度いつ会えるか…とても楽しみです。すっかりお世話になったMさんにこの「青春の日の思い出」の絵手紙にお礼の一言を添えてお送りしました。

 実は私はこの会に出席するかどうかかなり迷っていました、それはずっと仲良くしていた二人の人が都合が悪くて今回の会には欠席するとわかっていたからです。寂しい思いをして「やっぱりこなければよかった…」と思いたくなかったのです。でも、決して若くない自分です、「あの時やはり行けばよかった…、人がどうであれ自分の気持ちに正直に生きるのが自分らしい生き方ではないのか…」と自問自答した末に出席させて頂いたのです。でも、Mさんのお蔭でとても楽しくいい思い出の会となりました、人はどこでどうお世話になるのかこの先も全く分かりません…、自分も人様にせい一杯の言葉を添えたいと思います。
img_20161031_0001

 フリルン誕生秘話その5  (ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなものを…丸いナイロンたわしにヒントを頂く」
 リボン状の生地でバラのようなものをいくつか縫い付けてみましたが、実際に使ってみるとそれは只コロコロとするだけで背中を押し洗いするというものにはほど遠いものでした。背中を押し洗いするということは相当の力がかかるものだということが分かったわけです。
 その頃、町中で洋傘の回りに付いているフリル状のものが気になっていました、又、赤ちゃんの靴下の上部についているフリルが気になって見とれていたりしていました。アイデアというものは焦ったり、急いだりしても浮かんでくるものではありません…。只「押し洗い」そして「可愛いいもの…」どうしてもこの二つの言葉が頭から離れません…。「ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなもの…」それが可愛いものでなくてはならないのです。この品が完成されて店頭に並んだ時きっと女性が手に取るでしょう…、その時「これってなんなの?」「わっ~面白そう…」「これって可愛いね」と言って頂けるものでなくてはならないと思ったのです。

 当時雑貨店をしていました、店の棚の隅に直径10センチほどの一つの丸いナイロンタワシガ売れ残って転がっていました、私はそのナイロンたわしをあれこれといじっていました。するとそれはナイロン生地の真ん中で釣り糸のようなものでくくってあるだけのものでした、只ナイロン生地の張りで丸くなっていているわけです。それを見たとき「アッ、これだっこれでいけるっ」と思いました。長いながいトンネルから抜け出せるような、重い荷物を肩から降ろせるような何日も眠れなかった重苦しいい気持ちから解放された時でした。私はこの時「神様が天から降りてきた…」と思いました、どうも発明とはこのようなものらしいです…。

 

フリルンタオルは区の産業フェアーに出店その2 フリルン誕生秘話その4

 区の産業フェアーにフリルンタオルを出店、販売させていただくようになってお陰様で今年で20年目を迎えることが出来ました。その間㈱ホームズにも進歩がありました。フリルンタオルをある薬の展示会に出品していた時、一人の男性が見えて展示してあるフリルンを見て「これもパテントが掛かっているんでしょう…」と。私は「ええ…、宜しかったらどうぞ…」とフリルンの硬めのブルーを一つお渡ししました。するとその方は間もなく「これをどうぞ…」と言ってエッセンスを下さったのです。そんなことがご縁で(ノンチ液)を知ったのです、ノンチ液とは簡単に言いますとメタセコイヤという木の化石の抽出物質なのです。そのノンチ液入りの育毛「髪の幸せ」を7年ほど前から販売しています。それを使ったお客さんがお見えになって「ほら、こんなに髪が増えて…、見せに来たよ!」とNさん(60代男性)です。うれしいですねぇ~、自分の髪が増えた以上に嬉しいです、本当に良かった…と感無量の思いです。このNさんのような人が一人でも多くなるよう地道な努力を続けなければ…と思いました。
img_20161022_0002

 フリルン誕生秘話その3 「背中のくぼみを押し洗いしてくれるようなものへの挑戦」
 只、出っ張らせるだけではダメということは分かっているわけです、出っ張りを押す力が無ければいけないのです。まず最初にやったことは平坦なナイロン生地を男性のブリーフの前の部分のように生地をダブルにしてその中に台所で使っているスポンジを入れてみました。両端を引っ張って見ました、全くダメです…、そのスポンジがあっけなく飛び出してしまうのです。実はこのアイデアは自分の中ではかなりいける…と思ったのですがあっさりと切り捨てられました。次にやったことは出っ張りが必要な訳なのだからその出っ張りのためにバラのようなものを作り生地に縫い付けては…と思いました。幅4センチ位のリボンのような生地でバラのようなものを作り本体の両面に5個づつ縫い付けてみました、それを実際に使ってみました。全く「ダメ」です、只それがコロコロするだけです…。背中を洗うということはかなりの力がかかっているものなんだなぁ~と変なことろで感心をしたりしていました。アイデアというものは焦ったり、何か見つけようとしても簡単には見つかるものでもなく、湧いてくるものではありません…。何気ない平凡な日々の中で見つかるものなのでしょう…きっと。

フリルンタオルは区の産業展へ20年目の出品!。(フリルンタオル誕生秘話3)

みなさまこんにちは、今日東京葛飾区は昨日までのお天気と打って変わり朝から「秋雨…」です。涼しい…と言うよりちょっと「寒い…」感じです。昨日まで3日間年に一度の区の「産業フェアー」がありました。お陰様で㈱ホームズは20回目の出店です。そこでフリルンタオルも販売させて頂いています、思えばフリルンを初めて販売させて頂いたとき自分はもっとお客さんに「え~っこんなものが出来たの…」「う~ん、これは良さそうね…」と喜んでいただける、興味を持っていただけるのでは…と思っていました。が、実際は「アハハっ」と笑われ横目でチラッとみて通り過ぎていく人がほとんどでした。(かなり後から知ったのですが、発明品は初めはみんな笑られるそうです)でも、今年も「これこれ、この日を待っていたのよ…」「これを使ったらほかのものは使えないわ」と、親戚、友達の分までまとめ買いをして下さる人が続きます。有り難いというか、嬉しいというか、この20年の歴史は宝そのものなんだなあ~と感無量の想いです。何とか元気でやらせて頂いて感謝の気持ちでいっぱいです。本当に皆様有難うございます。
dsc_0015

(フリルンタオル誕生秘話)その3「ロボットが背中を押し洗いしてくれる様なものを」
 今から20年前にも(背中を押し洗いしてくれるようなもの)はありました。例えばなナイロンアカスリの中央部分にスポンジが縫い付けてあるものです。でも、それを使ってみるとそれは「押し洗い…」にはほど遠いものでした。ただそれが出っ張るだけなのです…。「ロボットが背中を押し洗いしてくれるようなもの…」への挑戦が始まりました。

『リオ、オリンピックメダリスト勢揃い!』フリルン誕生秘話編その2《無いものはないのだ、今あるものを生かそう》の言葉に惹かれる

昨日のリオ、オリンピックメダリストのオンパレードに東京銀座周辺に集まった人はなんと80万人(主催者発表)とのことです、凄いですね~。テレビで見る限りですがその車のわきの道、100メートルもあろうかと思われるところにも人、人、人です。パラリンピックメダリストと共同というのは初めてだそうですね、もっと早くそうするべきだったと思います。
 そして選手の皆さんからは「スーパースターになった気分です」「すごい人、写真を撮ろう」と逆に観衆を写メに収めていました。又、パラリンピックメダリストは「この感動を忘れず4年後をめざして一日一日を頑張っていきたい」と。一番感動したのは片足が無い一人の人の言葉です、「不自由をばねにして頑張りたい…」と、その言葉に動かされました、私はもう年だから…(77歳)この考えをまだ77歳に変えて好きなこと、できることそして興味があることに進んでいきたいと思いましす。

 
 フリルンタオル誕生秘話編その2
『今、あるものを生かそう…』
〇人と同じことをやっても生き残れない…、それでは今まで世の中になかったものを作っていくしかない…。そんなことを考えている時ふと立ち寄った本屋さんで一冊の本が目に入ります、それは「600円を150億にした男の話」というものです。その中の一章に「ないものはないのだから、今あるものを生かそう」の言葉が目に留まります。早速、今あるものを書き出しました。➀元気な自分と家族がいる➁雑貨店のホームズがある➂それらの商品を入れてくれる問屋がある➃それらを作っているメーカーを知っている➄店員さんもいる…。10番目くらいに少し前に見えた50代前半の女性の「背中が気持ちよく洗えるアカスリはありませんか…」の言葉が重く心に残りました。『そうだっ、それを作ろう!』その一言がまだ見ぬ世界へ飛び込んでいくきっかけでした。

img_20161008_0001

『このまま死ねない…』(フリルンタオル誕生秘話 その1) 

みなさまこんにちは「吉村道子」77歳です、《フリルンタオル誕生秘話》は少し続けたのですが事情で中断してしまい申し訳ございませんでした。今日から週一位のペースで再出発をしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。

 『このまま死ねないっ』
 ハアッハアッ…ハアッ…、クルシイッ、くるしいっ、苦しいっ、それは私、吉村道子がその年(2016)77歳になる春まだ浅い2月上旬の夕方の事でした。この苦しさは今までに経験したことがない苦しさです…、私は心の中で叫びました「まだやり残していることがあるっこのまま死ねないっ」と。以前より不整脈があり、この日その治療に行った日の夜の事でした…、結局自分で救急車を呼び入院となったのです。そして(アブレーション治療)を受けて3週間足らずの入院でお陰様で現在は今迄と変わらない生活を送らせて頂いております。普通の生活の有難さ、雑用に追われる幸せな事、人様とお付き合いできる幸福感を味わっております。

 フリルンタオル誕生秘話編 
 『そんなバカなことはやめてくれっ』と、夫の悲鳴です。
 平成7年の初夏の事でした…、当時あの「寅さん」でおなじみの東京葛飾にある商店街で生活雑貨店を経営しておりました。が相次ぐ大型ホームセンターに押され日に日に売り上げは減少していきました。それを何とか食い止めようとあらゆる努力をするのですが
全ては水の泡でした。例えばそのころまだ走りだった100円商材の輸入缶詰、石鹸、スパケティ等その商材を集めて販売をするのですがアッという間に世の中は同じようなことをしてきます。「人と同じ事をやっていても生き残れない、独自の事をやらなくては…」これがバネになって『発明』と言う未知の世界へ歩み始めます…、その発明品(フリルンタオル)は『見えない力』が無い限り誕生はしなかったと思います。
img_20160913_0001
「みなさまは果物は何が一番お好きでしょうか…、私はダントツこの種なし柿なのです。種がなくとても食べやすいです。今頃は豊富に出回っていてこの時期が楽しみです。」絵手紙は仕事仲間で月一回習っています、なかなかうまく描けませんが「下手でいい、下手がいい」の言葉にのせられて頑張っています。お客様から「だんだん上手になっていますね」なんて褒められるとやはり嬉しいですね。