「争いからは何も生まれない…」(東京都慰霊堂をお参りする)戦後70年に思う。

連日の猛暑ですがみなさまお変わりございませんでしょうか…。今年は戦後70年になります、終戦の年私(昭和14年生まれ)は幼稚園の年長組でした。 これは今から4年前当時高1の孫娘が学校の宿題で書いたものです、下書きが私の家にあり改めて読んで感動し熱くこみあげてくるものがありました。終戦記念日も近く皆様にもお届けしたいと思った次第です…。

東京墨田区、JR両国駅からほど近いところにその「東京慰霊堂」はあります。震災記念日の9月1日、私は幼稚園の頃からずっと母方の祖父に連れてこられここにきています。 今年78歳になる祖父は墨田区本所で昭和20年3月10日の東京大空襲で住んでいた家も丸焼けになったそうです。当時小5の祖父は焼夷弾がバラッバラッと落ちてくる中を祖父のおばあさんに手を引かれ夢中で逃げたという事です。 その焼夷弾が顔に当たり皮膚がベロッとむけてバタッと倒れる人…そして道路に死んでいた沢山の人をまたぎ逃げたと…。気がついたら近くの小学校の講堂で着ていた服の胸を開けられ、寒さで目が覚めたそうです…。

この3月10日の猛火は大変なもののようでした、熱さで隅田川に飛び込み命を落とした多くの人、人、人…。中には背中におんぶした赤ちゃんが死んでいるのも気がつかずにいた人もたくさんいたそうです。なんと悲惨なことでしょう…、死んだわが子を気付かずにおんぶしていいる…これが戦争なのです。そんなこともありこの「慰霊堂」は祖父には特別な存在のようでした。

私が、その慰霊堂がある「都立横網町公園」に初めて祖父に連れられて行ったのは小さかったわけです…。その当時はたこ焼き、焼きそば、ヨーヨー、お面、金魚すくい等などが所狭しと並ぶお祭りの夜店の様に思っていました…。が、本当はそうではありませんでした…。(中略)

今年も弟と祖父とここを訪れました…、まず「慰霊堂」にお参りをしました。「夜店…」と思って訪れた以前とは違った思いがありました。(中略) この中にある記念碑上部の扇型をした花壇、縦9メートル横18メートルのそこは毎年都内の小中高生が描いたデザイン画を基に製作していると言う事です。デザイン画の募集は毎年行い応募頂いた作品の中から優秀作品4点を春夏秋冬の花壇のデザインに採用しているそうです。今年はバックは黄色の菊のようです…、それに6人の人が手をつなぎその人型は赤やグリーンの花で仕上がっていました。どんな題名がついていたのでしょうか…「平和」それとも「仲良し」でしょうか…。戦争を体験した人が年々少なくなっている今、このように何らかの形で若い人に恐ろしい戦争を風化させないために携わって貰う事が大切だと思います。

夢が持てる現代…、好きな事が出来る今、平和であればこそだと思います。今日の日本の平和は戦争で犠牲になった多くの人の上に成り立っている事を忘れてはなりません…。「争いからは何も生まれません…」平和である事に感謝、そしてこの平和を守るために私たちはこれから何をしていかなければならないでしょうか…。慰霊堂をお参りして思いました。犠牲者のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

清水希衣

IMG連日の猛暑です、皆様どうぞご自愛くださいませ。 

絵を描いたあとつまんだら、このピオーネは目が覚めるように酸っぱかったのです…。食べた後でしたらこの「甘さも濃いみたい…」の言葉は無かったでしょう…。                 吉村道子